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zoom RSS 機関銃と法華経 石原莞爾の世界最終戦論

<<   作成日時 : 2011/02/20 21:37   >>

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ガトリング砲です。

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最初の機関銃(マシンガン)で、南北戦争のとき開発されました。砲身を円筒状に並べたものを回転させながら撃つことで、1分間に200発の銃弾を発射することができます。



南北戦争は軍事革命を引き起こしました。ガトリング砲のほかにも、ミニエー銃(銃弾を回転発射できるライフル銃)、(使い物にはならなかったが)潜水艦まで開発されています。

南軍が開発したハンリー潜水艇
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エンジンを搭載せず、足漕ぎで航行した。すぐに沈没し、乗組員は全員死亡。

南北戦争が4年で終わり、これらの最新兵器が大量に余ったため、米国の武器商人は海外に売り込みをかけました。とりわけ、内戦が始まろうとしていた幕末の日本に…

映画『ラストサムライ』で、トム=クルーズが扮したのが、このような武器商人です。


新潟で創業したスネル商会は、明治政府軍(官軍)との戦争準備を進めていた奥羽越列藩同盟に目をつけます。スネル商会からガトリング砲2門を購入したのが、越後長岡藩の改革者、河合継之助(かわいつぐのすけ)です。

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北越戦争と呼ばれる官軍対長岡藩の戦い。最新兵器を装備した長岡藩は数倍の敵を相手に猛戦しますが多勢に無勢、ついに長岡は落城します。河合継之助は同盟国の会津へ逃走途中に、戦病死しました。もし彼が薩摩藩や長州藩の側についていれば、明治維新の指導者になっていたでしょう。(この河合継之助を主人公にしたのが、司馬遼太郎の小説『峠』新潮文庫)

長岡は破壊され、賊軍の汚名を着せられました。長岡を破壊した官軍(薩長連合軍)を中核として、大日本帝国の陸海軍が編成され、徴兵制が敷かれました。北越戦争から30年後、長岡藩士の家に生まれた一人の若者が、海軍兵学校に入学します。

山本五十六(いそろく)
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のちの連合艦隊司令長官、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦の立案者です。真珠湾攻撃は、空母と飛行機を使って空から敵艦隊を攻撃するという世界戦史上、画期的な作戦でした。強大な米軍と戦うには、このような奇策を用いるほかない、と山本は考えた。

河合継之助のガトリング砲が、山本五十六の機動部隊に巨大化したのです。初戦で華々しい戦果をあげながら、最終的には大敗北を招いたことでも、この2人は共通しています。

なお、長岡はもう一人、田中角栄という別の意味での巨人も生んでいます。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *

日蓮は、鎌倉時代に安房国(あわのくに)=千葉県南部に生まれ、日本仏教の総合大学であった比叡山延暦寺で天台密教ほか諸学を学ぶうち、『法華経』(ほけきょう)だけが仏陀の真の教えであると確信するに至ります。

1260年、日蓮は『立正安国論』を著して鎌倉幕府執権・北条時頼に提出します。飢饉や天変地異が続くのは、禅宗、浄土宗などの「邪教」がはびこったためであり、『法華経』に帰依しなければ、国難が襲いかかるだろう、と預言。

数年後、フビライ=ハンの日本侵攻が始まったことで日蓮の名声は高まり、たび重なる迫害にもめげず、教団は拡大します。日蓮宗は、日蓮宗の一神教的不寛容とナショナリズム志向は、日本仏教の中で特殊なものです。

信長の延暦寺焼き打ちと、徳川幕府の檀家制度(注)によって、日本仏教は政治的に去勢されました。日蓮宗もこれに組み込まれ、檀家制度を拒否する急進派(不受布施派)はキリシタンとともに徹底的に弾圧されます。

(注)檀家(寺壇)制度…キリシタン禁制を名目に、幕府が仏教寺院に信徒(檀家)の戸籍(宗門人別改帳)を作成させた制度。仏教寺院は下級官庁の役割を担わされ、全人民がいずれかの仏教宗派に属することを強制された。僧侶は布教もできなくなり、葬祭だけで生計を立てる、いわゆる葬式仏教に堕落した。

幕末・明治にナショナリズムが高揚すると、日蓮宗の在家信者の間で新しい動きが起こります。国柱会がその一つです。

田中智学(ちがく)は、清和源氏(注)の血をひくと称する家系に生まれ、父親から尊王思想(天皇崇拝)と日蓮の教えを学び、日蓮宗の僧侶になります。しかし、檀家制度のなかで保守化した教団に飽き足らず、国柱会を立ち上げました。

(注)清和源氏…第56代清和天皇の第6皇子、貞純親王の子孫。源頼朝、新田義貞、足利尊氏、武田信玄などを輩出。頼朝以来、征夷大将軍は清和源氏から選ばれた。徳川家康は将軍になるため、系図をでっちあげて清和源氏と称した。

国柱会の創設者・田中智学
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田中智学の思想をまとめると、

@天照大神と釈迦とは同じものであり、『蓮華経』の原理を示す。
A天皇は、古代インド神話の転輪聖王であり、皇室の紋章「菊の御紋」は、インドの王権のシンボル、輪宝である。
B日本は、混乱する世界を霊的に統一(八紘一宇)する使命を持つ。


転輪聖王(てんりんじょうおう)というのは、武力ではなく法(ダルマ)によって世界を統一する王のことです。マウリヤ朝のアショーカ王が、ダルマによる統治を宣言した石柱碑には、車輪が刻まれています。転輪聖王思想と関係するという説もあります。

アショーカ王の石柱碑
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八紘一宇(はっこういちう)」という言葉は、田中智学の造語です。

八紘一宇の塔 宮崎・平和台公園
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皇紀2600年記念に建設(1940)。敗戦後、「平和の塔」と改名。占領軍の命令で「八紘一宇」の文字も削られたが、のちに復活。

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石原莞爾(いしわらかんじ)は、秋田・庄内藩士の子に生まれました。

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庄内藩は、長岡や会津とともに奥羽越列藩同盟を結成し、明治政府に抵抗。ただし、長岡・会津が徹底的に破壊されたのに対し、庄内は破壊をまぬがれました。これは西郷隆盛の指示によるものでした。「賊軍」でありながら明治政府の恩義を受けたのが庄内です。

庄内の少年藩主・酒井忠篤(ただずみ)は鹿児島を訪問して西郷に感謝、多くの庄内藩士が鹿児島に留学。西郷を慕って西南戦争に加わった者もいます。酒井忠篤は上野公園に西郷像を建て、西郷の遺訓である『楠洲翁(なんしゅうおう)遺訓』は、庄内藩士の手でまとめられました。

2大勢力の決戦による大統一、という石原の発想は、この戊辰戦争の記憶から生まれたものかもしれません。

ちなみに『楠洲翁遺訓』には、外交についての西郷の次のような言葉も残されています。

彼の強大に萎縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親かえって破れ、ついに彼の制を受るに至らん。

相手国の強大さに畏縮し、外交関係の円滑を主として、筋を曲げて相手国の意に従順であることは、相手の軽蔑を招き、友好関係は逆に破綻し、ついに相手国の言いなりになってしまう。

横浜APECでの胡錦涛と菅直人
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陸軍士官学校、陸軍大学校時代の石原は、試験勉強は要領よくこなし、空き時間に独学で戦史・哲学を研究。南次郎(注)からアジア主義(注)を学ぶ一方、国柱会に入信して八紘一宇の思想を学びます。卒業論文はあの「河合継之助」。故郷の庄内と同じく、奥羽越列藩同盟の一員だった長岡藩が、どのように薩長軍と戦い、敗れたのかを卒論のテーマにしたのです。

(注)南次郎…大分出身の軍人。陸軍大臣のとき、石原らが起こした満州事変を黙認。のち朝鮮総督として、創氏改名を実施。東京裁判で無期懲役(54 出獄)。

(注)アジア主義…アジア諸国の団結によって、欧米列強に対抗しようという思想。興亜会、玄洋社、黒龍会などが活動。日清戦争後は、日本を盟主とするアジア統一を目指す大アジア主義に変質した。日韓併合、東亜新秩序、大東亜共栄圏の思想的背景となった。


ドイツに留学した石原は、フリードリヒ2世、ナポレオン、モルトケ(注) 、第一次大戦の戦史を研究。殲滅戦と持久戦、という戦争の2類型に着目します。

(注)モルトケ…プロイセンの軍人。ビスマルクに仕え、陸軍参謀総長として普墺戦争、普仏戦争を指揮。電信・鉄道を使った包囲殲滅作戦を得意とし、ドイツ統一に貢献した。甥の小モルトケは、第一次大戦時の陸軍参謀総長。

1.殲滅戦…純粋な軍事力による短期決戦。ナポレオンやモルトケの戦争。
2.持久戦…長期戦。軍事力のほか、政治力、外交力、経済力をかけた総力戦。フリードリヒ2世の戦争。ナポレオン戦争時のロシア、第一次大戦時の英・仏。

持久戦はロシアのような広大な国土を持つ国に有利であり、日本のような小国には不利。日本陸軍は、モルトケの殲滅戦を信奉して日露戦争に突入したが、日本が勝利したのは「天運」。持久戦になれば負けていた、と石原は冷静に分析しています。

これらの戦史研究の上に、アジア主義と八紘一宇の思想がのっかったのが、石原の世界最終戦論です。日米開戦の前年(1940)、京都での講演で明らかにされました。

世界の現状と未来
1.現在、世界では4つの国家連合(米・日・ソ・独)が争っている。
2.やがて世界は2大勢力に統合される。日本(王道)と米国(覇道)が対立。
3.世界一周が可能な飛行機、敵の都市を壊滅できる決戦兵器が開発され、次の戦争は殲滅戦になる。
4.日本がこの最終戦争に勝利し、天皇を戴く世界統一国家を樹立。八紘一宇を実現する。

そのための準備として
1.米国に先んじて最終決戦兵器――原子核エネルギーを使った兵器を開発。
2.敵の空襲に備えた完全な防空体制。人口の分散、首都機能の移転。
3.日本と満州で完全な自給経済圏を実現。五族協和の実現。
4.支那事変(日中戦争)の早期終結により、日満支連盟、東亜連盟を樹立。

だから満州事変を起こしたのだ、という理屈になります。

この遠大な石原プランを妨害したのが、東條英機でした。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *

東條英機も東北出身。典型的な努力型秀才で、与えられた仕事を几帳面にこなす、有能な官僚タイプ。しかし、世界観や思想が根本的に欠如している。思想といえるものは、素朴な天皇崇拝だけ。のちに石原は、東條についてこう語っています。

「私は東條と対立したことはない。東條には思想がないからだ」

石原らが計画した満州事変が成功した後、関東軍(満州駐留の日本軍)の中で憲兵隊司令官、のち参謀長として台頭した東條は、「五族協和の理想国家」を掲げる石原と衝突。石原は東京の参謀本部に飛ばされます。

東條英機
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盧溝橋事件が起こると、東條は東京からの命令に従わず軍事作戦を拡大。

石原は満州国建設と対ソ防衛に専念するため、戦争不拡大を唱え、自ら現地軍の説得に行きますが、「我々は、石原閣下が満州でやったことを見習っている」と、相手にされません。参謀本部も現地軍の行動を追認し、戦争はずるずると泥沼化。米国は公然と中国を軍事援助、日本に対しては石油を禁輸。

対米戦争を避けたい昭和天皇と、暴走する陸軍との板ばさみになった近衛首相が政権を投げ出し、昭和天皇は陸軍の暴走を抑えるため、最強硬派の東條をあえて首相に。しかし結局、対米交渉は決裂。真珠湾攻撃へ。

石原は、陸軍大将東條英機を「上等兵」とののしり、「油が欲しいからといって戦争を始める奴があるか」と日米開戦を猛然と批判。

このため東條からにらまれ、開戦前に予備役(現役引退)となり、危険人物として憲兵隊に尾行されました。

石原は、日米の最終戦争を1960年頃と想定しており、それまでに日満を一体化して核開発を行い、完璧な防空体制を整える予定でした。だから1941年段階で日米が開戦すれば、勝てるはずがないと見通していた。真珠湾攻撃を立案した山本五十六も同じで、「半年、1年は暴れてみせるが、3年、4年となると確信が持てない」と言っています。

そして敗戦…

東京裁判で、東條は「A級戦犯」として絞首刑になりました。一方、石原も証人として出廷しますが、東條との対立関係から罪を問われず。故郷の庄内で農業をやって晩年を過ごし、米軍占領下の1949年に病死。

石原の預言通り、1962年に世界は最終戦争の危機に直面しました。ただし日米戦争ではなく、米ソ戦争という形で。

キューバ危機です。

ビキニ環礁での水爆実験
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米ソは全面核戦争を恐れて妥協し、最終戦争には至らず、世界統一も実現しませんでした。石原には、核抑止力という発想がなかった。

晩年の石原は、敗戦国日本は米ソのどちらかに加担して核戦争に巻き込まれないようにするため、米国から与えられた憲法9条を幸いとし、非武装中立で世界統一に寄与すべきだと、驚くべき「左旋回」をします。

石原は、「日本は東亜王道文明の先頭に立つ」と考えました。しかしいつ、中国に王道政治、徳による統治があったのか?

伝説時代は別として、春秋戦国から清朝末期、いや現代にいたるまで、暴力による政権交代が繰り返され、覇道政治が極限まで発達したのが中国文明ではないのか?

松井石根(いわね)大将――南京占領時の軍司令官――も、アジア主義者として中国革命を支援し、孫文や蒋介石とも親交があり、「支那通(しなつう)」と言われた人物。退役後は熱海に観音を建て、日中両軍の戦没者を弔っています。主観的には日中友好を目指していた松井が、東條とともに東京裁判で東京裁判で処刑され、中国では「南京大虐殺の張本人」として糾弾されている。

南京に入城する松井石根大将
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戦前の日本人は、話せばわかる、同種同文だ、と中国を誤解し続け、満州事変から日中戦争へと中国問題に深入りし、ついには国を滅ぼしました。戦後の日本人はそこから何を学んだのか。

石原の従弟の息子が加藤紘一。元自民党幹事長で、自民党内の親中国派、護憲派の中心人物。「紘一」は「八紘一宇」の略。そして現在の自民党総裁谷垣禎一は加藤の直系の後継者。もちろん親中派。尖閣衝突事件のときには、「中国人船長を逮捕せずに退去させていれば、問題は起こらなかった」と民主党政権を批判。

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船長を釈放した菅・仙谷や、小沢朝貢団だけではないのです。自民党の有力議員の思考がこうなっている。6兆円の対中国ODAを垂れ流し、あの国の軍事大国化に間接的に寄与したのは、小泉以前の歴代自民党政権でした。

そして鳩山前首相がぶちあげた「東アジア共同体」構想。石原の「東亜連盟」の現代版ではないのか?

2011年は、満州事変勃発から80周年。中国は反日ナショナリズムを煽る絶好のチャンス。尖閣紛争は、まだまだこれからが本番です。


日中関係はなぜうまくいかないのか?

日中友好は可能か?

それを考えるきっかけとして、石原莞爾の思想を取り上げてみました。

関連記事 『親日派の弁明』を読む

(おわり)


この記事は、第1回もぎせか塾(2/19)の講義内容に加筆したものです。

当日は、11名の方が参加されました。第1部は私の講義。第2部は懇親会。尖閣問題、死刑廃止問題、TPP問題、民主主義とマスコミの問題などで盛り上がり、そのあと終電に乗り遅れた数名で3次会に行き、核武装問題、北方領土問題で朝4時まで激論。(朝ナマか…)

3月に、またやります。

スタッフのT君、I君、お疲れ様でした。参加された方、感想をコメント欄にお寄せください。

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コメント(11件)

内 容 ニックネーム/日時
短い時間でしたけど、有意義な時間をすごせました。
次回は、僕の海外での経験をお話できればなと考えています。特に、教育制度、文化(考え方)の違いなどですかね・・・。
それが、問題解決に繋がるか分かりませんがww
池袋のK・H
2011/02/20 21:48
>>KHさん
理由が解らず仕事をしたり物事を考えたりしている人が多すぎます。学校の先生までも生徒を叱る時「規則だから」「エライ先生が決めたから」とか、理由になっていません。理由があるから規則を作るのに、その理由を教えられない。教育界を変える必要はあると思います。教員免許をカタチだけ更新制にしたって、先生の質があがるわけでは無いと思います。中身を変えていかなきゃ‥。
みるく
2011/02/20 23:18
お疲れ様でした。今後は、今回の講義の結論を受けて、日中の関係をいかに築いていくべきか、みたいな話もしたいですね。
それと昨日お話した、過去の日韓併合に関する記事の再録も、できればお願いしたいです。今回の講義内容と、非常につながるところが多いと思います。

先生が「石原の中には、ものすごく冷徹な状況分析と、神がかり的な楽観が同居してる」って話されてましたが、軍人としてはともかく、ひとりの人間としては、そこはむしろ石原の魅力のようにも感じます。
石原をどう評価するかはさておき、自分は石原が「好き」ですね。

昨日は朝までいろいろとありがとうございました。
次回を楽しみにしています。
Naotoyota
2011/02/20 23:31
>>先生
以前、昨年の参院選東京選挙区5位で当選した松田公太(タリーズコーヒージャパン創業者)の勉強会に参加したのですが、名札にtwitterのアカウントが書いてありました。終電に間に合っても、ネットで議論の続きができますww
みるく
2011/02/20 23:33
>>みんな
参加者はやっぱり駿台出身の人が多かったですか?市進出身の人もいました?
みるく
2011/02/20 23:36
もぎせか塾おつかれさまでした。
先生、お目にかかれて嬉しかったです。
幹事様もこのような素晴らしい会を計画してくださって本当に感謝いたします。
様々な角度から勉強になり、とても有意義な時間を過ごすことができました。
次回もぜひ
参加させて下さい。

オヤジ?
2011/02/21 09:34
みるくさん
自分は、市進予備校で茂木先生にお世話になりました。他にも、市進出身のひとが2.3人いましたよ。
Naotoyota
2011/02/21 23:30
>>Naotoyataさん
じゃ、僕も次回は参加したいです。先生は僕の顔を覚えていないでしょうけど、一度再開してみたいです。でもやっぱ、駿台の人とレベルが合うかどうか心配です。f(^_^;)
みるく
2011/02/22 02:41
みるくさん
是非ともご参加ください。みんな興味も大学での専攻もばらばらでしたけれども、茂木門下ということで、どこか共通するものがあった様に感じます。同じ若い世代同士で語りあえる、そのこと自体、とても楽しいものでした。

Naotoyota
2011/02/23 00:18
第一回もぎせか塾お疲れ様でした。完全に酒にのまれ皆さんに多大なる迷惑をおかけしてしまったことを大変遺憾に思っております。(T_T)
石原莞爾の講義は感動の連続。偶発的に見える様々な歴史上の出来事がこうも見事に体系化して捉えられるのかとひたすら関心していました。予備校時代の茂木先生の講義の感覚がよみがえったようでした。
茂木門下ということで、レベルの高い、色々な考えを持った人たちと交流できたことがとても楽しく有意義だったなぁと感じています。
次回も(今回の失敗を猛省して)ぜひ参加したいと思うのでよろしくお願いします。(^_^)
ふらい
2011/02/24 13:27
核の画像をお借りいたします.
名無しにかわりましてVIPがお送りいたし...
2015/10/19 20:37

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