はじめての皇位継承問題(1)
皇位継承に関する動画をアップしようと思いましたが、いろいろと微妙な発言がありましたのでやめにし(←自己検閲)、ポイントだけ解説します。
今の天皇陛下――「今上(きんじょう)天皇」、とお呼びします。
「今上」とは、「現在の」という意味。昭和時代には、昭和天皇を「今上天皇」とお呼びしました。亡くなられたあと、「昭和時代の天皇」という意味で、「昭和天皇」とお呼びするようになったのです。死後、贈られたお名前なので、「おくり名」といいます。元号をおくり名にするようになったのは明治天皇からです。
生きているのに「おくり名」で呼ぶのは非礼の極みです。
ご存命の陛下に対し、「平成天皇」と呼ぶのは非礼の極みですので、気をつけて下さい。
こういうことは小学校で教えるべきなのです。
しかし何も教えていない。
だから大学生になっても、教授になっても、「平成天皇」と発言する輩が消えないのです。
戦後日本の教育は、「天皇を意識させない」という方針で一貫しているのです。
「陛下」というのは称号です。英語では「人称代名詞+マジェスティー(威厳)」。
天皇陛下 →ヒズ・インペリアル・マジェスティー His Imperial Majesty
女王陛下 →ハー・マジェスティー・ザ・クィーン Her Majesty the Queen
君主(天皇や国王)とそのお妃(皇后)だけに使う称号で、他の皇族に対しては「殿下」を使います。英語では「ハイネス highness」。「皇太子殿下」、「雅子妃殿下」、「秋篠宮殿下」…と使います。
天皇の退位を認めるかどうかがいま議論になっていますが、退位された天皇を上皇(じょうこう)と呼びます。上皇もご存命の限りは「おくり名」では呼べません。単に「上皇」と呼ぶことになるのでしょう。平安時代の例では隠居された御所の名をとって「◯◯上皇」と呼んでいますので、たとえば伊豆の葉山(はやま)の御用邸に隠居された場合は「葉山上皇」となるかもしれません。
天皇の直系の子孫は、男子であれば「親王(しんのう)」、女子は「内親王(ないしんのう)」とお呼びします。
第125代今上天皇のお子様は、お三方いらっしゃいます。
皇太子・徳仁(なるひと)親王殿下。お子様はお一人で、愛子内親王殿下。
今上天皇のご退位により、徳仁親王殿下が皇位を継承されて第126代の天皇になられることは確定しています。しかし愛子内親王殿下はあとを継げません。
皇室典範
第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。
「男系」とは、父方の祖先が天皇であること。
愛子さまは父方のお爺様が今上天皇ですので「男系」ですが、ご自身が女性なので皇位は継げません。
「女性天皇不可」は、明治以後にできた皇室典範の規定です。第日本帝国憲法で、天皇は陸海軍の最高司令官となられましたので、「男性のみ」という規定になったようです。
しかし、天皇の本来のお姿は「祭祀(さいし)王」なのです。神社に巫女(みこ)さんがいるように、女性天皇であっても問題ありません。古代(飛鳥時代・奈良時代)と江戸時代には、合わせて8人の女性天皇が存在しました。
現行憲法では、天皇は自衛隊を指揮しません。女性天皇でも問題ないと私は思います。
しかし、「女系天皇」ーー父方に天皇がいない人物はダメです。
なぜダメなのか?
天皇家の歴史上、一人も存在しないからです。
それが天皇家の伝統であり、天皇家を天皇家たらしめている最大の要件だからです。
伊勢神宮の神殿は、塗装しない白木の掘っ立て柱で、屋根瓦もない弥生時代そのままの木造建築です。20年毎に建て替えないとぼろぼろになってしまいます。
鉄筋コンクリートにすれば、安上がりで長持ちするでしょう。
なぜそうしないのか。
2000年続いた伝統だからです。
伊勢神宮を鉄筋コンクリートにしてしまえば、お伊勢参りをする人はいなくなります。
それと同じことで、不合理であろうが何であろうが、ある制度が1000年以上続いているというのは、ものすごいことなのです。普通の国は、敗戦や革命で王朝が交代し、あるいは廃絶されました。
ヨーロッパ最古のデンマーク王室が、1100年ほど。
イギリス王室は、ノルマン征服(1066)から数えて950年。
英国議会の開会式に臨むエリザベス2世女王と夫君のフィリップ殿下
エチオピア王室は、ソロモン王の子を開祖とするという神話を信じれば約3000年続きましたが、1974年の革命で廃絶されました。
タイの王室は1782年のチャクリ王即位からなので、230年ちょっと。
サウジの王室は1932年のイブン・サウード即位からなので90年にもなりません。
先日、来日したサルマン国王
1000年以上続いている王朝は、日本の皇室だけです。
神話によれば、前660年の神武天皇即位から数えて2677年。
学問的に証明できるのは、弥生時代(3世紀)の崇神(すじん)天皇からで、ここから数えても約1700年。応神天皇から数えても1600年。要は、起源がわからないくらい古いのが日本の皇室なのです。
これだけでも「世界遺産」レベルです。
崇神天皇の陵墓(りょうぼ)
実在が確かな第10代崇神天皇以降の長い長い系図をみて確かなことは、
「女系天皇はゼロ」
という事実です。
男系の女性天皇は8人いらっしゃいましたが、いずれも未亡人であったり、独身を通されたりして、皇子を持ちませんでした。女性天皇の皇子は「女系」となりますから、皇位継承権はありません。そのことを覚悟して即位なされ、「男系の皇子」が成長するまでの間の「つなぎ」として天皇をお勤めになったのです。
この重みを知らずに現代人の浅智慧で、「男女同権!」などといって「女系天皇」を認めてしまうことは、伝統の破壊であり、「神武王朝」から別の王朝への王朝交代を認めることです。
具体的に考えてみましょう。
今上天皇のお子様は、
・長男・皇太子殿下
・次男・秋篠宮(あきしののみや)殿下
・長女・清子(さやこ)内親王殿下のお三方です。
清子(さやこ)さまは、東京都職員の黒田慶樹さんと結婚されました。黒田さんは民間人ですが、兄・秋篠宮殿下の学習院初等科時代からのご学友です。
民間人と結婚された清子さまは、皇籍を離れて民間人になられました。
皇室典範
第十二条 皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。
なぜこんな規定があるのか?
野心を持った他家の男性が、皇位を奪うのを防ぐためです。
黒田さんは真面目な方ですが、失礼ながら、たとえ話に使わせていただきます。
黒田さんが実は野心家で、
「オレが天皇になる。黒田王朝を開く」
という野望を持って、学習院時代から清子さまに近づいていたとしたらどうなるでしょう。
皇族女子が皇族のまま民間人と結婚すれば、こういう野心家が宮中に出入りすることになり、男子が生まれれば、それこそ「黒田王朝」になりかねません。
奈良時代には、聖武天皇の娘で独身の孝謙女帝に弓削道鏡(ゆげのどうきょう)という怪僧が急接近し、あやうく「弓削王朝」になりかかった事件もありました。
こういうことを防ぐのが皇室典範十二条の規定
「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」
なのです。
皇太子家の一人娘・愛子さまも、秋篠宮家の長女・眞子(まこ)さま、次女・佳子(かこ)さまも、民間人と結婚されれば皇籍を離れます。皇族と結婚されれば話は別ですが、この年代の皇族男子は、現在一人もいないのです。
このままでは皇族として残るのは、秋篠宮家の長男・悠仁(ひさひと)親王殿下お一人になります。
悠仁さまが将来、
「ぼくは結婚しない」といいだしたり、結婚しても男子が生まれなかった場合には、
千数百年続いた世界最古の王朝の断絶、
となります。
危機的状況なのです。
最近議論されている「女性宮家」の創設とは、愛子さま、眞子さま、佳子さまが、民間人との結婚後も、皇族として残り、新しい宮家(天皇家の分家)を開く、という案です。これも「つなぎ」にはなりますが、女系天皇は認められない以上、それらの宮家に生まれた男子に皇位継承権はありません。根本的な解決にはならないのです。
もうダメなのか…
いや、まだ方法があるのです。
(続く)
教えてくれ!
と思った方は、
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「今上」とは、「現在の」という意味。昭和時代には、昭和天皇を「今上天皇」とお呼びしました。亡くなられたあと、「昭和時代の天皇」という意味で、「昭和天皇」とお呼びするようになったのです。死後、贈られたお名前なので、「おくり名」といいます。元号をおくり名にするようになったのは明治天皇からです。
生きているのに「おくり名」で呼ぶのは非礼の極みです。
ご存命の陛下に対し、「平成天皇」と呼ぶのは非礼の極みですので、気をつけて下さい。
こういうことは小学校で教えるべきなのです。
しかし何も教えていない。
だから大学生になっても、教授になっても、「平成天皇」と発言する輩が消えないのです。
戦後日本の教育は、「天皇を意識させない」という方針で一貫しているのです。
「陛下」というのは称号です。英語では「人称代名詞+マジェスティー(威厳)」。
天皇陛下 →ヒズ・インペリアル・マジェスティー His Imperial Majesty
女王陛下 →ハー・マジェスティー・ザ・クィーン Her Majesty the Queen
君主(天皇や国王)とそのお妃(皇后)だけに使う称号で、他の皇族に対しては「殿下」を使います。英語では「ハイネス highness」。「皇太子殿下」、「雅子妃殿下」、「秋篠宮殿下」…と使います。
天皇の退位を認めるかどうかがいま議論になっていますが、退位された天皇を上皇(じょうこう)と呼びます。上皇もご存命の限りは「おくり名」では呼べません。単に「上皇」と呼ぶことになるのでしょう。平安時代の例では隠居された御所の名をとって「◯◯上皇」と呼んでいますので、たとえば伊豆の葉山(はやま)の御用邸に隠居された場合は「葉山上皇」となるかもしれません。
天皇の直系の子孫は、男子であれば「親王(しんのう)」、女子は「内親王(ないしんのう)」とお呼びします。
第125代今上天皇のお子様は、お三方いらっしゃいます。
皇太子・徳仁(なるひと)親王殿下。お子様はお一人で、愛子内親王殿下。
今上天皇のご退位により、徳仁親王殿下が皇位を継承されて第126代の天皇になられることは確定しています。しかし愛子内親王殿下はあとを継げません。
皇室典範
第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。
「男系」とは、父方の祖先が天皇であること。
愛子さまは父方のお爺様が今上天皇ですので「男系」ですが、ご自身が女性なので皇位は継げません。
「女性天皇不可」は、明治以後にできた皇室典範の規定です。第日本帝国憲法で、天皇は陸海軍の最高司令官となられましたので、「男性のみ」という規定になったようです。
しかし、天皇の本来のお姿は「祭祀(さいし)王」なのです。神社に巫女(みこ)さんがいるように、女性天皇であっても問題ありません。古代(飛鳥時代・奈良時代)と江戸時代には、合わせて8人の女性天皇が存在しました。
現行憲法では、天皇は自衛隊を指揮しません。女性天皇でも問題ないと私は思います。
しかし、「女系天皇」ーー父方に天皇がいない人物はダメです。
なぜダメなのか?
天皇家の歴史上、一人も存在しないからです。
それが天皇家の伝統であり、天皇家を天皇家たらしめている最大の要件だからです。
伊勢神宮の神殿は、塗装しない白木の掘っ立て柱で、屋根瓦もない弥生時代そのままの木造建築です。20年毎に建て替えないとぼろぼろになってしまいます。
鉄筋コンクリートにすれば、安上がりで長持ちするでしょう。
なぜそうしないのか。
2000年続いた伝統だからです。
伊勢神宮を鉄筋コンクリートにしてしまえば、お伊勢参りをする人はいなくなります。
それと同じことで、不合理であろうが何であろうが、ある制度が1000年以上続いているというのは、ものすごいことなのです。普通の国は、敗戦や革命で王朝が交代し、あるいは廃絶されました。
ヨーロッパ最古のデンマーク王室が、1100年ほど。
イギリス王室は、ノルマン征服(1066)から数えて950年。
英国議会の開会式に臨むエリザベス2世女王と夫君のフィリップ殿下
エチオピア王室は、ソロモン王の子を開祖とするという神話を信じれば約3000年続きましたが、1974年の革命で廃絶されました。
タイの王室は1782年のチャクリ王即位からなので、230年ちょっと。
サウジの王室は1932年のイブン・サウード即位からなので90年にもなりません。
先日、来日したサルマン国王
1000年以上続いている王朝は、日本の皇室だけです。
神話によれば、前660年の神武天皇即位から数えて2677年。
学問的に証明できるのは、弥生時代(3世紀)の崇神(すじん)天皇からで、ここから数えても約1700年。応神天皇から数えても1600年。要は、起源がわからないくらい古いのが日本の皇室なのです。
これだけでも「世界遺産」レベルです。
崇神天皇の陵墓(りょうぼ)
実在が確かな第10代崇神天皇以降の長い長い系図をみて確かなことは、
「女系天皇はゼロ」
という事実です。
男系の女性天皇は8人いらっしゃいましたが、いずれも未亡人であったり、独身を通されたりして、皇子を持ちませんでした。女性天皇の皇子は「女系」となりますから、皇位継承権はありません。そのことを覚悟して即位なされ、「男系の皇子」が成長するまでの間の「つなぎ」として天皇をお勤めになったのです。
この重みを知らずに現代人の浅智慧で、「男女同権!」などといって「女系天皇」を認めてしまうことは、伝統の破壊であり、「神武王朝」から別の王朝への王朝交代を認めることです。
具体的に考えてみましょう。
今上天皇のお子様は、
・長男・皇太子殿下
・次男・秋篠宮(あきしののみや)殿下
・長女・清子(さやこ)内親王殿下のお三方です。
清子(さやこ)さまは、東京都職員の黒田慶樹さんと結婚されました。黒田さんは民間人ですが、兄・秋篠宮殿下の学習院初等科時代からのご学友です。
民間人と結婚された清子さまは、皇籍を離れて民間人になられました。
皇室典範
第十二条 皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。
なぜこんな規定があるのか?
野心を持った他家の男性が、皇位を奪うのを防ぐためです。
黒田さんは真面目な方ですが、失礼ながら、たとえ話に使わせていただきます。
黒田さんが実は野心家で、
「オレが天皇になる。黒田王朝を開く」
という野望を持って、学習院時代から清子さまに近づいていたとしたらどうなるでしょう。
皇族女子が皇族のまま民間人と結婚すれば、こういう野心家が宮中に出入りすることになり、男子が生まれれば、それこそ「黒田王朝」になりかねません。
奈良時代には、聖武天皇の娘で独身の孝謙女帝に弓削道鏡(ゆげのどうきょう)という怪僧が急接近し、あやうく「弓削王朝」になりかかった事件もありました。
こういうことを防ぐのが皇室典範十二条の規定
「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」
なのです。
皇太子家の一人娘・愛子さまも、秋篠宮家の長女・眞子(まこ)さま、次女・佳子(かこ)さまも、民間人と結婚されれば皇籍を離れます。皇族と結婚されれば話は別ですが、この年代の皇族男子は、現在一人もいないのです。
このままでは皇族として残るのは、秋篠宮家の長男・悠仁(ひさひと)親王殿下お一人になります。
悠仁さまが将来、
「ぼくは結婚しない」といいだしたり、結婚しても男子が生まれなかった場合には、
千数百年続いた世界最古の王朝の断絶、
となります。
危機的状況なのです。
最近議論されている「女性宮家」の創設とは、愛子さま、眞子さま、佳子さまが、民間人との結婚後も、皇族として残り、新しい宮家(天皇家の分家)を開く、という案です。これも「つなぎ」にはなりますが、女系天皇は認められない以上、それらの宮家に生まれた男子に皇位継承権はありません。根本的な解決にはならないのです。
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この記事へのコメント
もぎせか塾はじめての参加でした
白頭山の虎ウソ伝説からわが国皇室問題へテーマが移行したせいで、今までピンとこなかった神話の大切さがよく分かりました
戦後教育世代のせいなのか、つい神話じたいに現実性を追求してしまうのです(笑)
神話がどうであれ、現実の権威として万民が受入れ継承されていった事実こそ大切で、この皇室の権威は後々まで継承していかなかればならことを痛感する今日この頃です
記紀神話も革命神話も同じ「空想」です。しかしその空想を語り伝えて国家意識の中核にしてきたのは「事実」なのです。
厩戸王(うまやどおう)を「聖徳太子」と呼んだかどうかが重要なのではなく、「聖徳太子」伝説が長く語り伝えられてきたという事実が重要なのです。
第一に皇位継承問題を抱えた天皇を政治権威としてそのまま置くのはリスクが高く、最悪の場合政治権威を失う危険性があります。なので、天皇に比類したかつての政治権威を蘇らせ万が一に備える事が求められると思います。
第二にそもそも明治時代以前の天皇をみれば、常に天皇が政治の中枢にいた訳ではなく、「征夷大将軍」や「関白」といった役職に政治を任せていた実態があります。「王政復古の大号令」で始まった明治時代以降の天皇のあり方が特段問題があったとは思いませんが、今上陛下の激務を考えれば他の政治権威に負担を振り分ける等して融通の利くシステムをつくる必要があります。
第三に今の天皇の権威や責任が大きすぎるせいで、旧宮家の方が戻りにくくなったり、皇室の女性の方もご結婚できにくくなっている(これが女性宮家制度の最大の問題だと思います)と私は前々から感じております。なので、一度京都に戻り、そこで明治以前の皇室のあり方を見つめ直し、「臣籍降下からの復帰」や負担の軽減等を行う等皇室の存続を中心とした改革に励んだほうがいいのではないでしょうか。
物凄い無茶苦茶で絶対に宮内庁の人間にとってみれば到底受け入れられない案かもしれませんが、今上陛下がこれから皇太子殿下に譲位なされて「上皇」になられるのを見れば、明治以前の天皇のあり方を見つめ直す時代が来ていると私は考えております。
権威Authorityと権力Powerとの分離は、名誉革命(1688)で確立された西欧立憲主義の基本原則ですが、日本ではその500年前、平清盛の太政大臣就任(1167)以来の武家政治の伝統でした。摂関政治は天皇に寄生した側近政治ですので、これとはまた別です。
幕末までの天皇は完全なAuthorityとして宮中祭祀と将軍宣下(任命)のみ行い、政治軍事のPowerを幕府に任せていました。
西欧の立憲君主は軍の指揮をとり、時には政治介入を行いました。いまでもイギリス女王は、首相に代わって議会で施政方針演説を行います。権威と権力の分離が不徹底だったため、政変に巻き込まれて王朝断絶となった例がたくさんあります。
帝国憲法は西欧的なシステムを取り入れたため、天皇を国家元首、統治権者と定め、軍服を着せて陸海軍の統帥者にしました。これは日本の伝統的国家体制(国体)からの逸脱です。敗戦により、皇室の存立が危機に瀕したのはまさにこのためでした。
憲法に規定された国事行為ーー国会召集、内閣総理大臣の任命、国務大臣の認証、外国大使の接受などは、権威Authorityとしての職務ですので問題ありません。これと宮中祭祀が天皇の本来のお役目です。
では、憲法に規定がない公的行為をどうするか?
外国要人の皇居での接受や、天皇の外国ご訪問。現行憲法には元首の規定がないのですが、天皇を事実上の「元首」とした上で(少なくとも相手方はそう思っている)行なわれるものです。
バコダ様のご提案は、国家元首に当たる名誉職的な「大統領」をおいて、外国要人に対応させるべきだ、ということですね。
一案とは思いますが、どこぞの元首相やら、元衆院議長やら、元◯大総長やらを大統領にしたところで、その人物に日本国を代表する権威を感じるでしょうか?
天皇の持つ権威がものすごいために、これに代わる権威は生まれず、誰がやっても「その他臣民」で終わってしまうでしょう。
退位された上皇が、京都にお戻りになることには私も賛成です。天皇の激務については、次の記事で書きます。
我々日本人にとってみれば、京都にいる天皇陛下が政治をせず代わりに東国にいる征夷大将軍が政治を執り行い、その征夷大将軍の代わりに執権・老中が実質的な政治を行うといった体制は馴染み深いものがあり、このような鎌倉・江戸時代の政治体制を復活させてもいいのではないかと思っていました。
しかし、先生のおっしゃるように諸外国の人間にとってみれば、立憲君主制の君主と首相の間に仲介人(名誉職大統領)がいて、首相は君主にとっての復代理人という状態を見れば不可解に見えるのは致し方ないかもしれませんね・・・。