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zoom RSS 桜花(おうか)について 小野田少尉を悼む

<<   作成日時 : 2014/01/19 09:53   >>

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『永遠のゼロ』のなかで最も印象的なシーンの一つが、桜花(おうか)の場面です。

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――桜花のことはご存知ですか?人間が操縦するロケット爆弾です。

いや飛行機ではありません。本当に爆弾なのです。自力で飛び立つこともできず、また着陸することもできません。旋回もできず、ただまっすぐに滑空することしかできません。一式陸攻(爆撃機)に懸吊(けんちょう)され、上空から敵艦に向かって飛んでいくだけの人間ロケットです。

よくもまあこれほど非人間的な兵器が作られたものだと思います。

ここでの訓練は急降下だけでした。航空から落下して目標物にまっすぐにぶつかる――ただそれだけです。そのために零戦を使って急降下訓練もやりました。

桜花に乗っての降下訓練はただ一度だけです。桜花には着陸用の車輪がないために、機体にソリをつけ。高空から凄まじい速度で落下し、地上付近で水平飛行し、滑走路に着地するのです。これに成功した者は「A」ランクとされ、桜花の搭乗員として登録されます。そして成功した者から次々に九州に送られました。

――着地に失敗した者ですか?そこで死にます。…

私もやりました。あの恐怖は忘れられません。母機から桜花に移る時は足がすくみました。一式陸攻の床が開き、ものすごい風圧で飛ばされそうになる中を、懸吊してある桜花の操縦席へ飛び移るのです。もちろん命綱などありません。もしこの時何らかの手違いか故障で桜花が落下すれば、命はありません。

しかしこの恐怖さえ落下する時の恐しさに比べたら、何ほどのものでもありません。母機から切り離された途端、桜花はものすごい勢いで三百メートルくらい落下します。そのマイナスGは強烈で、頭に体中の血が上り、破裂しそうな感じになります。そして口から内臓が飛び出しそうになります。気を失いそうになるのを必死でこらえ、渾身(こんしん)の力を込めて操縦桿を引き、体を立て直して飛行場の目標物に向かって滑空します。

そして地上ギリギリで更に引き起こし、今度は水平飛行に移ります。これまた想像を絶するほどのGで、目の前が真っ暗になりました。あやうく失神するところでした。おそらく引き起こしに失敗して亡くなった友人たちはこの時、失神したのかもしれません。桜花が着地したときの衝撃は凄まじいものがありました。体ごと地面に叩きつけられた感じでした。…

しかし実際に特攻しで敵艦に突入した人は、もっと大きな恐怖を味わったに違いありません。
(『永遠のゼロ』第8章)


生還の望みがないという点では神風特攻と同じですが、神風はゼロ戦――戦闘機ですから、もちろん着陸できます。沖縄戦の際には、燃料不足や整備不良のため、少なからぬ特攻機が鹿児島の基地に戻ったり、途中の喜界島に不時着したりして、結果的にそのパイロットは生き残っています。着水して船に救助された例もあります。しかし桜花は、着陸も着水もできません。

訓練で失敗すれば即死。

成功すれば桜花の搭乗員として正採用され、出撃すれば帰る場所はなく、目標の敵艦に当たろうが、失敗しようが、全員死亡。自分が死ぬという意味で、必殺兵器。

米軍はこれを、Baka Bombと呼んでいました。「バカ」は日本語です。

しかも出撃できればいいほうで、2トンを超える桜花を運ぶ一式陸攻は飛行速度が極度に遅くなり、敵艦隊にたどりつく前に、レーダーで探知されて敵機の餌食になりました。一式陸攻の搭乗員は7名。撃墜されれば桜花搭乗員も含め8名が犠牲になります。
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1945年の3月から7月までの10回の出撃で、桜花の搭乗員55名、母機の搭乗員368名が戦死。敵艦を撃沈した唯一の例は、1945年4月12日に米駆逐艦マナート・L・エベールに突入した土肥三郎中尉の桜花でした。マナートは艦中央で爆発し、真っ二つに折れて沈没しています。


帝国海軍は敗戦までに755機の桜花を生産し、さらに本土決戦に備えて量産体制に入っていました。

米軍が接収した桜花はスミソニアン博物館などで展示しています。靖国神社付属の軍事博物館である遊就館には、実物大模型が展示してあります。

この呪われた兵器を開発したのは誰か?

大田昭一海軍特務少尉(のち大尉にまで昇進)。
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艦上攻撃機の偵察員として入隊、中国、太平洋を転戦。海軍兵学校卒のエリート士官ではなく、特定の技術を持つ兵卒出身を意味する「特務士官」となる。1944年に厚木基地に配属、陸軍の誘導ミサイル開発の情報を手に入れ、人間が搭乗することで命中精度を上げることを発案、東京帝大高空研究所、三菱発動機の協力を得てプランをまとめ、「自分が乗っていく」と海軍航空本部に熱心に働きかけ、桜花採用のきっかけを作った。

桜花特攻を行う神雷部隊に志願して採用されたが、「適性なし」と判定されて特攻はせず、桜花が期待した成果を上げられず出撃中止になると、再開を求めて最後まで運動を続けた。


三木忠直海軍技術少佐
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海軍航空技術廠(しょう)に勤務していた技術者。桜花の設計の中心となった。

「ドイツのV一号に呼応してロケット研究を進めていたが、誘導装置について無人では限界を感じて人力を必要としたが必死となることに抵抗があった。しかし大田少尉がV一号に人が乗っていくこと、まず自分が乗っていくと言って説いて回り問題は解決した」(御田重宝『特攻』)

ドイツ軍の無人ロケット兵器V-1
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桜花が初戦果をあげて新聞が大々的にこれを報じたとき、開発者の三木技術少佐は、

「自分が設計したあのロケット機でこれら勇士たちが神去りませしとは…必死ではなく決死必中の兵器を心に誓っていたが、大田少尉が案を持参したから設計、製作した」と語った。

一方、発案者の大田特務少尉は、

「特攻兵器の原理概念とっくの昔にわかっている。科学者は実施者でないことに躊躇(ちゅうちょ)し、将兵死なせることに気遅れしている。戦局は躊躇などしている時ではなく、将兵の命など考えるべきではない」(前掲書)


敗戦後、三木少佐は多くの若者の命を奪った自分の技術を平和のために使いたいと熱望し、鉄道技術者に転身して国鉄(いまのJR)に採用され、新幹線開発チームの一員となりました。必死必殺の兵器・桜花の技術は、死亡事故ゼロの高速鉄道・新幹線として生まれ変わったのです。

NHK プロジェクトX 第007回
「執念が生んだ新幹線 老友90歳・飛行機が姿を変えた」
http://v.youku.com/v_show/id_XMjc0MzU3NDI0.html


桜花の提唱者である大田大尉はどうなったか。

敗戦3日後。大田大尉が乗ったゼロ戦は茨城県の基地を飛び立ち、太平洋上で消息を絶ちました。基地には「太平洋上に去る」との遺書が残され、桜花開発の責任を感じて英霊の後を追ったのだろうと、噂されました。

神風特攻隊を創設した大西瀧次郎中将も、敗戦の翌日に割腹自殺しています。「部下の英霊とその遺族に謝す」と遺言を残して。中将みずから、最後の特攻兵となったのです。

大西中将は、サムライだと思います。




これで終われば美談ですが、このあといやな話があります。




大田大尉は生きていたのです。




太平洋上でゼロ戦を着水させ、漁船に救助されていたのです。しかも生還を隠し、「青木薫」という偽名を使って生き延び、結婚して2児を儲け、1994年に京都の病院で天寿を全うしていたのです。(秦郁彦『昭和史の謎を追う』上 第20章 「桜花」特攻 大田正一の謎)

この人は、生きるために「恥」という概念を捨てたのでしょう。

でも82歳まで生きて自分の人生を振り返った時に、恥じ入ることはなかったのでしょうか。


いや、大田少尉だけではありません。

敗戦直後の精神的虚脱感と飢餓の中で、多くの日本人が「恥」を捨てたのです。

米兵に媚びへつらい、昨日までの自分を完全否定し、奇跡の生還をした特攻隊員たちは「戦犯」と後ろ指を差されたのです。戦時中は挙国一致で鬼畜米英を叫び、異議を唱える者を「非国民」呼ばわりしましたが、敗戦後は一転して挙国一致でアメリカを賛美し、異議を唱える者を「戦犯」呼ばわりしたのです。つまり精神構造が変わっていない。自分で考えず、常にその場の「空気」に合わせて付和雷同する。

しかしこの軽薄な戦後日本を拒否して、戦闘を続けた男たちがいます。

インドネシアでは、2000人以上の旧日本兵が、スカルノ率いるインドネシア独立軍に志願してオランダと戦いました。


仏領インドシナでは、600人の旧日本兵がホー・チ・ミン率いるベトミンに従軍し、インドシナ戦争でフランス軍と戦っています(ベトナム秘史に生きる日本人)。

そして米軍に再占領されたフィリピンのジャングルでは、孤独なゲリラ戦を続ける旧日本兵の姿がありました。


小野田寛郎(ひろお)陸軍少尉。
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上海での商社勤務経験により中国語を習得。陸軍入隊後は、語学力を買われて諜報部員を養成する陸軍中野学校に入学、遊撃戦(ゲリラ戦)の特訓を受けたのち、フィリピンの第8師団に情報士官として配属。横山師団長から、「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が1人でも残っている間は、ヤシの実をかじってでもその兵隊を使って頑張ってくれ」と命令された。連合軍による日本占領後も、ゲリラ戦を続けよ、との命令だった。

1944年の大晦日、マニラ湾を一望できるルバング島のジャングルに潜伏して米軍の上陸を見届ける。3人の仲間(1人が脱走、2人が地元警察に射殺される)とともに任務に従って情報収集を継続し、米軍基地への攻撃も繰り返した。その戦果として、在比米兵、フィリピン警察など30人以上を殺傷。

自作の短波受信機で情報を収集した結果、フィリピンと日本には米軍占領下で傀儡政権が生まれており(ある意味、当たっている)、真の日本政府は満州に亡命していると推測。日本からやってくる捜索隊はアメリカの罠だと考え、ヴェトナム戦争で米軍機が出撃すると、日本軍の反撃が始まったと喜ぶ。

最後の同志となった小塚上等兵が射殺された1972年以降、気持ちが揺らぐ。1974年にたまたま遭遇した日本人青年に「任務解除命令が下れば帰国する」との意思を伝えた結果、かつての上官が現地に飛んで小野田と接触、任務解除命令を下す。

「参謀部別班所属の各部隊及び関係者は、直に戦闘及び工作を停止し、夫々最寄の上級指揮官の指揮下に入るべし。已むを得ざる場合は、直接米軍又は比軍と連絡をとり其指示に従ふべし。

第十四方面軍参謀部別班班長 谷口義美」

任務解除命令を受ける小野田少尉
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フィリピン軍基地を訪れ、軍刀を差し出して投降する小野田少尉
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フィリピン軍基地司令官はすぐに軍刀を返し、「軍人の鏡」と称賛。

翌日、マラカニアン宮殿で行われた小野田少尉の投稿式にはマルコス大統領が臨席、「あなたは、軍人の模範である」と称賛。米兵やフィリピン人殺傷は重罪だが、「戦闘行動の継続」として恩赦され、即時帰国が実現。

政府からの見舞金100万円と日本中から寄せられた義援金をすべて靖国神社へ寄付し、弟が移住していたブラジルに渡って小野田牧場を経営。晩年は、日本の教育を憂いて小野田自然塾を開き、キャンプを通じて子供たちを育てる活動をしていた。




小野田寛郎さん死去 孤独耐え30年 最後の帰還兵
戦後30年近く、フィリピン・ルバング島に潜み、帰国後は青少年を対象にした野外教室「小野田自然塾」を開くなどした元陸軍少尉の小野田寛郎(おのだひろお)氏が16日午後、心不全のため死去したことが17日、親族への取材で分かった。91歳。和歌山県出身。親族のみで密葬を行う。体調を崩し、6日から入院していた。 
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1942年に応召。陸軍中野学校二俣分校で遊撃戦の訓練を受け、44年ルバング島に派遣された。終戦を信じずにとどまり、74年3月、約30年ぶりに帰還した。

75年にブラジルに移住し牧場を経営する傍ら「子どもたちをもっとたくましく」とルバング島の経験を生かし、84年から日本各地で小野田自然塾を開催、5年後に財団法人化した。

91年には、福島県塙町の山林に施設が完成。キャンプ生活を通じて、子どもたちや野外活動の指導者を対象に自然教育の指導を続けた。96年にはルバング島を23年ぶりに訪問した。

     ◇

小野田さんは戦後50年となる1995年、日本へ戻った「最後の帰還兵」としての体験を本紙「この道」に百回にわたり連載、その後『たった一人の30年戦争』(東京新聞刊)にまとめ出版した。ルバング島での戦闘からジャングル潜伏、帰還後、一転した生活などを詳細につづったこの本への愛着は強く、元気だった一昨年まではしばしば本社を訪れ、著書にサインしては、講演会場などに置いていた。

◆超人的な記憶力「捕虜恐れ メモ取らず」

<評伝> とにかく「弱さを見せない人」だった。自分を強く鼓舞することで、たった一人で、戦地を30年にわたって生き延びたのだろう。

戦後50年を迎えるのを前に1994年、小野田さんの「30年の孤独な戦い」を記録したいと思い、取材を申し込んだ。「私が何を語り、何を書いてもだれ一人、証人もいないので」と当初は気乗りしない返事だったが、夫人の町枝さんの説得でやっと承諾してくれた。

その年のクリスマス、当時、小野田さんが住んでいたブラジルに渡った。カンポグランデの空港では、フィリピンから20年前に生還した時と同じように背筋をピンと伸ばした小野田さんが出迎えてくれた。

経営していた牧場で10日間ほど生活をともにした。一緒に馬に乗り、パトロールもした。毎日7時間、インタビューをしたが、記憶力は超人的だった。

「諜報(ちょうほう)要員だったので、万が一捕虜になったときのことを考えて、一切メモはしません。すべて頭に記録してしまう習慣がついているんです。情報を積み重ねて、次の作戦行動を組み立てる。情報は命にかかわる」と、淡々と語っていたのが印象的だった。

同様にグアム島のジャングルで28年間生き抜いた元日本兵の故横井庄一さんとは対照的に、影の部分をあまり見せない人だった。性格的なものもあったのだろうが、生と死のはざまで生き抜いた過酷な体験がそうさせたのだろう。最後の昭和が消えた思いがする (元本紙編集局次長・三枝貢)
(2014年1月17日 東京新聞夕刊)




「一国の首相たる者が、この靖国神社にお参りをして、『心ならずも…』と、英霊に対して言葉をかけております。果たしてわたくしたちは、心ならずもあの戦争で命を散らしたでありましょうか。

わたくしは、国の手違いによって15年間、靖国神社にお祭りをしていただきました。もしわたくしがその時に本当に死んでいたとすれば、『国のために戦わなければ、誰が戦うのか!』、そういう自分たちの誇りを持って、力いっぱい笑って死んでいったのであります。また、わたくしだけでなしに、わたくしの仲間もみんなそうであります。

それが何で、同情の対象なんでしょう。

誇りを持って死んだ人に対して、なぜただ黙ってありがとう、感謝の念を捧げられないのか。わたくしは、小泉総理に大反対であります」
(2005年8月15日、靖国神社での第19回戦没者追悼中央集会で)




小野田少尉。まさに武人である。




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コメント(11件)

内 容 ニックネーム/日時
小野田氏のスピーチには感動しました。このような論調を日本のマスコミで見られる日が一日でも早く来てほしいです。靖国参拝を批判する日本語版人民日報はどういうつもりなのでしょうか。なぜこれほど簡単に他国に買収されるのでしょうか。はした利益のために国を売るという行為が理解できません。いずれ日本が中国の一部になった時に分け前にあずかろうという魂胆でしょうか。日本国民にはマスコミの報道(洗脳)に騙されないようにしてほしいです。ところで先生は「KAZUYA CHANNEL] という動画をご存知でしょうか。ニコ動やYou Tubeで定期的に配信されている政治に絡む動画です。そこにも、都知事選や小野田氏に関する動画が配信されていました。もし視聴されたら、ご意見やご感想をお聞きしたいと思います。

パトリオット
2014/01/20 02:47
Kazuyaさん、「赤い大地」の若者ですね。毎日、動画をアップするというエネルギーはすごいと思います。20代の発信者として「慰安婦の歌」のYokoさん、名護の我那覇さんも注目です。
管理人
2014/01/20 04:55


急激な成長に必要であった東南アジア諸国の固定的な為替相場が足かせとなって通貨危機への至った理由、過程について国際金融のトリレンマの用語をもちいて説明してくださいという問題が大学の試験にてでたのですが、茂木先生の作る模範解答を伺ってもいいですか?
ばるこ
2014/01/20 18:21
ばるこ様
そういう場合は自分の意見をしっかりと述べてから先生の御意見を伺うのが筋だと思いますが
仮にそれが試験でなくレポートの場合剽窃となりますよ?
通行人
2014/01/20 18:56
通行人様のおっしゃる通り。ヒントだけ差し上げましょう。

1.国際金融のトリレンマとは、A、B、Cの3つを同時には達成できない(2つは可)、というもの。

2.ニクソンショック後の日本は、Aを捨てることによって、B、Cを維持してきました。Bは独立国家として当然ですし、Cは経済発展に不可欠ですから。

3.東南アジア諸国は、自国通貨の信用を保つためAを維持し、外資導入による経済発展にためCを維持していました。よってBの自由がなく、クリントン政権のドル高政策が各国通貨を高騰させました。

4.国際金融資本(ヘッジファンド)はこの弱点に目をつけ、各国通貨を買い占めて高騰させ、売り逃げによる一儲けを企みました。各国は、Bを回復して危機を乗り切ろうとAを手放した結果、自国通貨の暴落を引き起こしました(アジア通貨危機)。

5.ちなみにギリシア危機がいつまでも解決しないのは、ギリシアがユーロ導入によってAを採用した結果、Bの自由を失ってしまったのが根本的な原因です。

6.中国は、共産党政権がBを死守しつつ、経済発展維持のためCも不可欠ですので、Aは放棄せざるを得ないのに、これに抵抗してきました。これが人民元の国際化、という話です。

以上の論点を明確にした上で、具体例ーー例えばタイの場合、どういう経過を辿ったのかを書けばいいと思います。
管理人
2014/01/20 19:38
戦後の日本人は「恥」の概念を捨ててしまったのでしょうか
周りの視線ばかりを気にかけて自らの行いの価値判断を他律的に決め、馴れ合う
これはルース・ベネディクトが『菊と刀』で述べるように
他者からの評価で自己の行動の善悪や是非が定まる文化、まさに恥の文化だと思います。
私には逆に日本人が恥を深化させて自律性が後退しているように思えます。
茶水la
2014/01/20 22:39
先生は北海道を「赤い大地」と仰っていますが、なぜ北海道はいまだに民主党勢力が強いのでしょうか。旧ソ連と地理的に近いから共産主義の影響を受けやすいというのが理由の一つとして考えられると思うのですがどうでしょう。北海道新聞が「赤い」と言われるのもそういうことによるものでしょうか。ところで先生が紹介されたYokoさんの「慰安婦の歌」、見ました。海外の政府は慰安婦問題をどう見ているのでしょうか。日本は国際的には高い評価を受けていますが、慰安婦問題のこととなると、批判的な評価を受けているような気がするのですが。
パトリオット
2014/01/20 23:16
茶水la様
A.道徳の基準が内在的・絶対的なものでなく、多数派の意見によって融通無碍に代わるというベネディクト的「恥」――山本七平のいう「空気」。

B.国家・国民のための自己犠牲は名誉なことで、私利私欲に走るのは「恥」という思想。

Aは日本人の大多数を占めた農民の倫理。Bは武士階級の倫理(いわゆる武士道)をベースに、明治政府が公教育を通じて浸透させ、とくに軍隊教育において徹底された倫理。

小野田少尉のように士官教育を受けた職業軍人と、農民から徴兵された兵卒とではかなり違ったようです。敗戦によりBが完全否定され、Aが全面開花したのが戦後社会である、と私は考えます。

パトリオット様
北海道は明治期から本土の貧困層が開拓民として送られ、開発されたという経緯から、社会主義運動が広がるベースがありました。スターリンは北海道の半分を占領するつもりでしたが、実現すれば北海道人民共和国が成立したでしょう。

米軍も、ロシア軍も、ドイツ軍も、占領地では凄まじい性犯罪を繰り返しています。こういう問題にはなるべく触れたくないというのが本音でしょう。「日本が孤立している」というのは、それ自体が中韓のプロパガンダです。
管理人
2014/01/21 01:07
名護市長選挙が稲嶺氏に…という結果になってしまいました。
ようやく進展があった辺野古移設ですが、これでまた逆戻りするのでは…と心配しています。市長権限といえども国防に関わるものですし、移設を拒否することはできないと思いますが、相手は法の通じない左翼です。過激な反対運動を展開していくに違いありません。僕も何とか阻止したい思いですが、先生どうすればよいでしょうか?
元駿台生
2014/01/21 01:31
空母4隻+護衛艦隊からなる機動部隊を日本が建造し、普天間の米海兵隊を空母に乗せれば解決します。普天間基地は地元に返還すればよろしい。その代わり、名護市に対する国からの莫大な財政支援は大幅に減額します。

機動部隊の建造は人民解放軍に対する抑止力にもなるし、造船業が活況を呈して景気回復にも貢献するでしょう。
管理人
2014/01/21 02:24
一度死にかけて生き延びたのは意味があること戦後生き延びた日本人に尊敬します私も未来の子孫のために命を繋ぐ努力を忘れない
反日国家が嫌い
2014/02/09 08:06

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