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<<   作成日時 : 2011/07/12 06:21   >>

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私は、学生運動というのを知りません。

幸か不幸か、高度経済成長期に生を受け、政治闘争より経済成長、個人が豊かになるのが大事という社会的風潮にどっぷりつかって成長しました。中学・高校と政治活動には無縁でした。ただ、教科書ではロシア革命はすばらしい、ソ連の計画経済はすばらしいと書いてあるのに、どうしてソ連がアフガニスタンに攻め込んでるんだろう、と疑問に思いました。

大学に入って、学生運動というものがあるのを知りました。大学のサークル(部活)の連合体を仕切っているのが学生運動の組織で、定期的に「学生集会」をやっていました。

1回だけ、集会に参加しました。参加しないと、次年度に部室を割り当ててもらえないから、と先輩に言われて。成田空港建設に反対する「三里塚闘争」の支援集会で、ヘルメットかぶったおじさんたちが、独特の口調で演説してました。参加しないと「粛清」されちゃうので、多くの学生が部室をもらうためにいやいや参加していたのです。ピョンヤンの反米集会と同じ、無意味な集会でした。運動はもう完全に「終わって」ました。

日本の学生運動は1970年を境に衰退に向かいました。

1960年に締結された日米新安保条約。「日本をアメリカ帝国主義の戦争に巻き込む条約だ」、「日本の軍国主義復活だ」と、左翼政党(社会党、共産党)、新左翼(共産党の分派)が猛反対し、国会を学生デモが包囲したのが1960年。当時の自民党岸内閣は、新安保条約の成立と引き換えに退陣に追い込まれました。

この条約は10年ごとに見直すという規定があるので、次の1970年に条約破棄を実現しようと反対派は勢いづきましたが、この間に自民党政権は「所得倍増」を掲げ、国民を豊かにすることで反政府運動の沈静化を図りました。この作戦は成功し、「60年安保」の闘士の大部分は、ヘルメットを脱いでネクタイを絞め、こんどは企業戦士となって高度経済成長を支えることになったのです。

しかし、「革命」をあきらめきれない人たちもいました。

第1のグループは、運動をさらに先鋭化し、テロ活動に活路を見出しました。あさま山荘事件を起こした連合赤軍、中東に拠点を移してパレスティナ=ゲリラと共闘した日本赤軍、北朝鮮に拠点を移し、朝鮮労働党の支援で日本革命を目指す「よど号」グループの3つです。

第2のグループは、革命家の素性を隠して社会党(のちの社民党・民主党)に入党し、あるいはマスコミに入社して「合法的に」革命を成就する道を選びました。彼らが現在、菅直人代表を筆頭に民主党政権の要職を占め、また大手マスコミの重役となっています。2009年の政権交代キャンペーンで、「民主党に一度やらせてみよう!」と煽ったのが彼らです。

羽田発、福岡行きの日本航空の旅客機「よど号」は、1970年3月31日にハイジャックされました。日本最初のハイジャック事件です。犯行グループは赤軍派の学生9名。首謀者は大阪市立大学(夜間部)の学生・田宮高麿(当時27歳)。乗客乗員129人を人質に取り、操縦士を日本刀で脅迫。

「ピョンヤンへ行け」

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機中では乗客に対し、レーニン全集、キム=イルソン(金日成)の伝記、毛沢東の伝記を示し、「読みたい本があれば、貸し出す」と。誰も借りる者なし。

日本政府は韓国政府の協力を得て、よど号をソウルのキンポ空港に誘導。ピョンヤンの空港に見せかけて着陸させ、犯人逮捕を計画。しかし、異変に気付いた犯行グループが態度を硬化させたため、日本の運輸政務次官が人質としてよど号に乗り込み、引き換えに乗客全員を釈放させ、ピョンヤンへ向けて離陸。

犯行グループはそのまま北朝鮮に亡命。「世界革命の同志」として歓待され、金日成・金正日父子と朝鮮労働党の保護のもとで「日本革命村」が作られます。日本の刑法では国外逃亡により時効は停止しており、犯人グループが帰国すれば即、逮捕されます。

金日成は、「日本革命を代を経て継続するため」、犯人グループを結婚させます。主犯・田宮秀麿の妻となったのは、森順子(よりこ)。詳しいことはわかっていませんが、父が在日朝鮮人で自発的に北朝鮮に渡り、朝鮮労働党に入党して工作員になっていたようです。田宮は95年にピョンヤンで死亡。森順子は今もピョンヤン在住です。

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このあと金正日(キム=ジョンイル)は、日本人拉致を指令。その目的は、拉致した日本人に北朝鮮の工作員が成りすまして韓国に対するテロ活動を行うこと。横田めぐみさん、有本恵子さん、田口八重子さん、曽我ひとみさんらが日本国内や海外で次々に拉致され、北朝鮮に連行されました。

1980年、日本大学学生・石岡亨さん(当時22歳)が欧州旅行中に失踪。彼を拉致した北朝鮮工作員が森順子だった可能性が高いのは、石岡さんが残した最後の写真に森順子が映っているからです。
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1983年、神戸市外国語大学学生有本恵子さん(当時23歳)が欧州旅行中に失踪。彼女を拉致した北朝鮮工作員・八尾恵は、よど号ハイジャック犯・柴田泰弘の妻。革命資金を得るため偽名を使って日本に潜入し、横須賀でスナック経営をしていたところを逮捕されました。のち、有本さん拉致の事実を認めて両親に謝罪し、手記も出版しています。

有本恵子さんと最後の手紙
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八尾恵の手記
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柴田も「石岡亨」の偽造パスポートで日本に入国、資金集めをしていましたが、88年にパスポート偽造が見破られて兵庫県警に逮捕されました。

その後、有本恵子さんと石岡亨さんは北朝鮮で結婚させられ、工作員として教育されたようです。小泉訪朝で金正日が拉致を認めたのち、北朝鮮はこう説明しました。

「石岡亨と有森恵子は1985年12月に結婚。1986年に長女誕生。1988年11月4日ガス中毒で一家全員死亡。1995年8月に遺体が洪水で流失した」

よど号犯人
田宮秀麿=(結婚)=森順子…石岡亨さん拉致?
柴田泰弘=(結婚)=八尾恵…有本恵子さん拉致

これで明らかなように、「よど号」グループは1970年の旅客機ハイジャックの罪を犯しただけでなく、金正日体制による日本人拉致の工作員とも深く関わっていたことは明らかです。

そして、田村秀麿と森順子の息子が、北朝鮮当局によって日本への「帰国」をなぜか許され、東京都三鷹市の市議会議員選挙に立候補していた(!)

これはいったい…

(つづく)

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